POSTED Tuesday, November 23, 2010 23:29
エジプト旅行記⑥ 10月28日 前編
朝6時に目覚めると、空が真っ白になっていた。夜空を覆い尽くしていた無数の星たちはとうにその姿を隠し、昼まで寝過ごしてしまったんじゃないかと思えるほどだったが、しかし不思議な純白の空を360度見回してみても、まだどこにも太陽は見えなかった。
すげえなー。太陽出てなくてもこんなに明るいんだ、なんて思いながらモソモソと寝袋から出て、シュラフの上にかけてあった毛布を今度は体に巻き付けて、ぼんやりと赤く染まり始めた地平線を、ふたたび独り占め出来るところまで歩いて行くと、その寒さに歯がかたかたと鳴った。
腰をおろした石灰岩があまりにも冷たかったので、毛布の端を尻の下に敷き、どんどんと赤くなっていくその中心をしばらくじっと見つめていると、全ての静寂を切り裂くようにして、それはそれは暖かい光が差し込んだ。
その瞬間、ああ、全ての生命が歓喜するんだろうなこれは、と数万年待ち焦がれたような気分になった。太陽が出ている。嬉しい。暖かい。物体に感じる想いじゃないなあこれ。間違いなく、星は生きている。
すげえなー。太陽出てなくてもこんなに明るいんだ、なんて思いながらモソモソと寝袋から出て、シュラフの上にかけてあった毛布を今度は体に巻き付けて、ぼんやりと赤く染まり始めた地平線を、ふたたび独り占め出来るところまで歩いて行くと、その寒さに歯がかたかたと鳴った。
腰をおろした石灰岩があまりにも冷たかったので、毛布の端を尻の下に敷き、どんどんと赤くなっていくその中心をしばらくじっと見つめていると、全ての静寂を切り裂くようにして、それはそれは暖かい光が差し込んだ。
その瞬間、ああ、全ての生命が歓喜するんだろうなこれは、と数万年待ち焦がれたような気分になった。太陽が出ている。嬉しい。暖かい。物体に感じる想いじゃないなあこれ。間違いなく、星は生きている。
この来光を見たとき、心が突然迷子になってしまった。その後数日間、一体俺はこの人生で何をやっていくんだろう、と考え続けることになる。
背後では起きだした旅人たちがドライバーの入れた紅茶をすすっていた。もう目を逸らしてもいいかと思えるまでその場で来光を眺めた後、再び彼らに加わった。
背後では起きだした旅人たちがドライバーの入れた紅茶をすすっていた。もう目を逸らしてもいいかと思えるまでその場で来光を眺めた後、再び彼らに加わった。
チキン・マッシュルームと呼ばれる奇岩。もともと海底だったサハラに石灰岩が堆積し、長い年月をかけ風で削られて、この姿になった。
その後は、来た道を逆へ辿ってカイロへ戻る。バハリヤでベルギー人2人組と別れ、ミスターアフメッドにお礼を言い、再びオアシスのバス停からカイロ行きのバスに乗る。隣にはパキスタン人3人組の旦那、アミンが座った。
「やあ、これ来た時のバスより全然いいバスだよ!快適だなあ!」
アミン「僕たちが乗って来たバスはこれよりもっと綺麗だったよ(笑)。」
その後は、来た道を逆へ辿ってカイロへ戻る。バハリヤでベルギー人2人組と別れ、ミスターアフメッドにお礼を言い、再びオアシスのバス停からカイロ行きのバスに乗る。隣にはパキスタン人3人組の旦那、アミンが座った。
「やあ、これ来た時のバスより全然いいバスだよ!快適だなあ!」
アミン「僕たちが乗って来たバスはこれよりもっと綺麗だったよ(笑)。」
バスの中から見えるバハリアの街。
ときおり少し疲れたような顔を見せるアミンと、砂漠や、アフリカのこと、中近東やアジアについて、そして貧しい国のことをずいぶんと語り合った。恵まれている側にいてさえはっきりと感じられるが、この世界はずいぶんと不公平だ。砂漠からオアシスへ戻る途中にあった検問の警備兵が、俺たちのジープの無口なドライバーに金をたかっていたのを思い出した。クンは、あの警備兵の月給はだいたい40ポンド(760円)ぐらいだろうと言っていた。
砂漠を走る事数時間、行きに降りるのを躊躇したサービスエリアに再びバスが立ち寄ったとき、最初に感じた不安なんてもうなんでもなくなっている自分に気がついた。日本人パッカーを珍しそうに眺めてくるムスリムの視線も気にならなくなった。気にならなくなったせいか、視線はもうそれほど飛んでこなくなった。
込み合った売店に立ち寄ると、ナッツをキャラメルで固めた菓子が目に入った。うわー美味そうだなこれ!
「これいくら?」
店員「1ポンド。」
1ポンド硬貨と1ポンド札を共に切らしていたので、嫌な予感はしつつも5ポンド紙幣を手渡す。
「お釣りある?4ポンド。」
店員「ない。」
ないわけないだろー(笑)。でもまあ先に5ポンド紙幣を渡した俺が阿呆なのだ。ないと言い切ったきり5ポンド紙幣を返すそぶりもなく、ごった返したカウンターに群がる(エジプトでは列は滅多にできない)次の客の相手をしようとしている店員に、
「じゃあ残り4ポンド分は、他のお菓子を持って行くよ。それはいいよね?」
と尋ねると、あろうことかその返事はたった一言
店員「だめだ。」
だった。
カッッチーーン。いや、確かに世界は不公平だろうぜ。そして4ポンドを俺からむしり取るのは別に難しい事でもなんでもないさ。だって俺もともと限界まで値切ろうなんて考えてないもん。だけどな、今の話は、数学的にも、論理的にも、全くおかしいだろ!ジャンとパピルス屋のような、なんかこう、あんだろうそういうのがああ!!
「なんだとこの野郎!?NOっつったか!?」
こんのやろー返答次第じゃただじゃおかねえからな!するとようやく表情が浮かんだ店員が
店員「あ、いや。YES。」
と許可してくれたので、肩を震わせながらずんずんとお菓子コーナーに戻り、行きに食べて美味しかったウェハース(ちゃっかり)その他のお菓子をわしづかみにして、奴の顔にぐいっと差し出した。
「これとこれ持って帰るからな!」
と言い捨てると、しぶしぶコクリと頷く奴を背に、お菓子ウォーズは終結した。フー。そうだった。エジプトってこうだったこうだった。
そんなこともあったせいで、ギザ駅まで行くはずのバスが、渋滞がひどいからもうこれ以上走りたくないという至極真っ当な理由で、ギザよりずいぶん手前の人でごった返したバス停で停まったときには、もう特に驚きもしなかった。
「えー、てかどうしたらいいんだよ?」
運転手「知らん!メトロで行け!メトロじゃ!」
と前方を指差していたので
「あっちに行けばメトロあるの?」
運転手「メトロじゃ!」
何を聞いても「メトロじゃ!」しか言わん運転手にこれ以上聞いても無駄だと確信し、アミンと奥さん、その友人に丁寧に別れを告げ、すたすたと一人で歩き出すと、あ、一人旅再開だ、と気付くのだった。
駅を見つけるのに多少手間取ったものの、メトロ自体はもう乗り方分かってるもんね、なんつって難なくサッダート方面行きの電車に乗ると、砂漠から帰って来て砂だらけ、風呂も入ってない日本人は、その車両でもとびきり汚かった。申し訳ないなあと思い、ドアにもたれかかって小さくなっていると、つり革に捕まった乗客が今までの人生では見たことのない表情で俺を見つめていることに気付いた。うん?なんだろうと見回すと、2本の線路を隔てた反対側のホームから、お母さんに手を引かれた女の子が一生懸命俺に手を振っている。エジプトでは、子供たちは旅行者が大好き。どこで見かけても必ずとびきりの笑顔で手を振ってくれるのだ。
発車する電車の中では、小汚い日本人パッカーが、なにかに救われたかのような笑顔でその女の子に精一杯手を振り返していた。
エジプトの電車には、降りる人が先、などと言うルールはない。自分の降車駅が近づくと、降りたい人たち(降りる人、ではない。降りたい人、だ。)がドアの後ろに集合して、今から始まる押し合いに備える。そのとき芽生える奇妙な連帯感や、やあ、この人は押しが強そうだから大丈夫だなとか、そんな感覚も普通だ。果たして降りたい連合の圧勝で無事サッダート駅に降り立ったあとは、今度は迷う事もなく宿に戻ることができた。笑顔で迎えるウィリーの顔を見ると、砂漠の旅に出かけたのがもう随分と昔のことのように感じる。シャワーを浴びて航空券と列車のチケットを受け取ると、アスワン行きの飛行機まではまだしばらく時間があったので、夕食は一人でコシャリを食べに出かけることにした。
初日に行ったコシャリ屋は割とすぐに見つかった。とにかく腹ぺこだったので、「でっかいのください」と言うと、自分の胃袋の倍はありそうなコシャリがやって来たのだが、その時思ったのは「全然足りないよ!」だ。
エジプト人のおじいさんと相席で、恥ずかしいぐらいコシャリにがっついていると、テーブルの上に調味用のお酢と真っ赤な辛いソースが乗っていることに気付いた。お酢を少し足してみる。うん、うまい!からいソースはとても辛いので気をつけろ、って歩き方に書いてあったな。ちょっとだけかけてみようっと。えーっと、そーっと、そーっと、そーっと、
どばっ
無表情だが優しいオーラを発している相席のおじいさんの顔に、ほんの一瞬ではあったが、
おわっ
と言う表情が浮かんだのを見逃しはしなかった。店の反対側のテーブルで屈強そうなアラブ系の男性が、細やかな所作でそのソースを
ちろっ
とかけているのを見て、これは長い闘いになりそうだと、ペプシを買いに席を立った。えーと、大盛りを頼んでおいて残すのだけは絶対に嫌だし。しかも俺は食事の前にお百姓さんのことを思って手を合わす日本人だ。ガシャガシャとソースをかき混ぜると、何故か「俺すっげえ辛いの好きなんすよおおお!」的オーラを出しながら激辛コシャリをかき込んだ。
ぶふっ
鼻からコシャリ出そうになったじゃねえかよおおお!かっれええええええええええええええええ!!!!!くない!かっれえええええ!くないっすよ!あっはっは!うまい!かっれえええ!くない!
キリキリと痛む胃のSOSは無視して猛スピードで激辛コシャリをかき込み、一人SMショウをおじいさんに披露して残りあと数口となったとき、レジの若者がジェスチャーで
(お前!汗すごいぞ!!だいじょうぶか!)
(うん?ああ、大丈夫だよ!!)
(そうか!まあナプキン使え!)
と紙ナプキンを手渡してくれたのだが、その時紙ナプキンで拭かれたものが果たして汗だったのか涙だったのかは、今となっては自分でも思い出せない(泣)。(続く)
ドライバー同士はお互い協力し合う顔見知り。
砂漠を走る事数時間、行きに降りるのを躊躇したサービスエリアに再びバスが立ち寄ったとき、最初に感じた不安なんてもうなんでもなくなっている自分に気がついた。日本人パッカーを珍しそうに眺めてくるムスリムの視線も気にならなくなった。気にならなくなったせいか、視線はもうそれほど飛んでこなくなった。
込み合った売店に立ち寄ると、ナッツをキャラメルで固めた菓子が目に入った。うわー美味そうだなこれ!
「これいくら?」
店員「1ポンド。」
1ポンド硬貨と1ポンド札を共に切らしていたので、嫌な予感はしつつも5ポンド紙幣を手渡す。
「お釣りある?4ポンド。」
店員「ない。」
ないわけないだろー(笑)。でもまあ先に5ポンド紙幣を渡した俺が阿呆なのだ。ないと言い切ったきり5ポンド紙幣を返すそぶりもなく、ごった返したカウンターに群がる(エジプトでは列は滅多にできない)次の客の相手をしようとしている店員に、
「じゃあ残り4ポンド分は、他のお菓子を持って行くよ。それはいいよね?」
と尋ねると、あろうことかその返事はたった一言
店員「だめだ。」
だった。
カッッチーーン。いや、確かに世界は不公平だろうぜ。そして4ポンドを俺からむしり取るのは別に難しい事でもなんでもないさ。だって俺もともと限界まで値切ろうなんて考えてないもん。だけどな、今の話は、数学的にも、論理的にも、全くおかしいだろ!ジャンとパピルス屋のような、なんかこう、あんだろうそういうのがああ!!
「なんだとこの野郎!?NOっつったか!?」
こんのやろー返答次第じゃただじゃおかねえからな!するとようやく表情が浮かんだ店員が
店員「あ、いや。YES。」
と許可してくれたので、肩を震わせながらずんずんとお菓子コーナーに戻り、行きに食べて美味しかったウェハース(ちゃっかり)その他のお菓子をわしづかみにして、奴の顔にぐいっと差し出した。
「これとこれ持って帰るからな!」
と言い捨てると、しぶしぶコクリと頷く奴を背に、お菓子ウォーズは終結した。フー。そうだった。エジプトってこうだったこうだった。
そんなこともあったせいで、ギザ駅まで行くはずのバスが、渋滞がひどいからもうこれ以上走りたくないという至極真っ当な理由で、ギザよりずいぶん手前の人でごった返したバス停で停まったときには、もう特に驚きもしなかった。
「えー、てかどうしたらいいんだよ?」
運転手「知らん!メトロで行け!メトロじゃ!」
と前方を指差していたので
「あっちに行けばメトロあるの?」
運転手「メトロじゃ!」
何を聞いても「メトロじゃ!」しか言わん運転手にこれ以上聞いても無駄だと確信し、アミンと奥さん、その友人に丁寧に別れを告げ、すたすたと一人で歩き出すと、あ、一人旅再開だ、と気付くのだった。
駅を見つけるのに多少手間取ったものの、メトロ自体はもう乗り方分かってるもんね、なんつって難なくサッダート方面行きの電車に乗ると、砂漠から帰って来て砂だらけ、風呂も入ってない日本人は、その車両でもとびきり汚かった。申し訳ないなあと思い、ドアにもたれかかって小さくなっていると、つり革に捕まった乗客が今までの人生では見たことのない表情で俺を見つめていることに気付いた。うん?なんだろうと見回すと、2本の線路を隔てた反対側のホームから、お母さんに手を引かれた女の子が一生懸命俺に手を振っている。エジプトでは、子供たちは旅行者が大好き。どこで見かけても必ずとびきりの笑顔で手を振ってくれるのだ。
発車する電車の中では、小汚い日本人パッカーが、なにかに救われたかのような笑顔でその女の子に精一杯手を振り返していた。
エジプトの電車には、降りる人が先、などと言うルールはない。自分の降車駅が近づくと、降りたい人たち(降りる人、ではない。降りたい人、だ。)がドアの後ろに集合して、今から始まる押し合いに備える。そのとき芽生える奇妙な連帯感や、やあ、この人は押しが強そうだから大丈夫だなとか、そんな感覚も普通だ。果たして降りたい連合の圧勝で無事サッダート駅に降り立ったあとは、今度は迷う事もなく宿に戻ることができた。笑顔で迎えるウィリーの顔を見ると、砂漠の旅に出かけたのがもう随分と昔のことのように感じる。シャワーを浴びて航空券と列車のチケットを受け取ると、アスワン行きの飛行機まではまだしばらく時間があったので、夕食は一人でコシャリを食べに出かけることにした。
初日に行ったコシャリ屋は割とすぐに見つかった。とにかく腹ぺこだったので、「でっかいのください」と言うと、自分の胃袋の倍はありそうなコシャリがやって来たのだが、その時思ったのは「全然足りないよ!」だ。
エジプト人のおじいさんと相席で、恥ずかしいぐらいコシャリにがっついていると、テーブルの上に調味用のお酢と真っ赤な辛いソースが乗っていることに気付いた。お酢を少し足してみる。うん、うまい!からいソースはとても辛いので気をつけろ、って歩き方に書いてあったな。ちょっとだけかけてみようっと。えーっと、そーっと、そーっと、そーっと、
どばっ
無表情だが優しいオーラを発している相席のおじいさんの顔に、ほんの一瞬ではあったが、
おわっ
と言う表情が浮かんだのを見逃しはしなかった。店の反対側のテーブルで屈強そうなアラブ系の男性が、細やかな所作でそのソースを
ちろっ
とかけているのを見て、これは長い闘いになりそうだと、ペプシを買いに席を立った。えーと、大盛りを頼んでおいて残すのだけは絶対に嫌だし。しかも俺は食事の前にお百姓さんのことを思って手を合わす日本人だ。ガシャガシャとソースをかき混ぜると、何故か「俺すっげえ辛いの好きなんすよおおお!」的オーラを出しながら激辛コシャリをかき込んだ。
ぶふっ
鼻からコシャリ出そうになったじゃねえかよおおお!かっれええええええええええええええええ!!!!!くない!かっれえええええ!くないっすよ!あっはっは!うまい!かっれえええ!くない!
キリキリと痛む胃のSOSは無視して猛スピードで激辛コシャリをかき込み、一人SMショウをおじいさんに披露して残りあと数口となったとき、レジの若者がジェスチャーで
(お前!汗すごいぞ!!だいじょうぶか!)
(うん?ああ、大丈夫だよ!!)
(そうか!まあナプキン使え!)
と紙ナプキンを手渡してくれたのだが、その時紙ナプキンで拭かれたものが果たして汗だったのか涙だったのかは、今となっては自分でも思い出せない(泣)。(続く)
7人を乗せて砂漠を走ったジープ。奥に見えるのはフランス人夫妻のサポートカー。
ドライバー同士はお互い協力し合う顔見知り。
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