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POSTED Friday, December 3, 2010 16:45

エジプト旅行記⑧ 10月29日 後編

エジプト旅行記①〜⑦→2010/11/6〜11/30
エジプト旅行記⑨→2011/2/17

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「ちょ、ちょっと待ってよ。どこ行けって言うんだよ?」
確かにチケットに書いてある車両、そして座席に座ったはずだ。
「○△□¥%&#○!」
いいからはよどっかいけ!と言う手振りなのだけはなんとなく分かる。

その乗務員(だと思うんだけど)が自分の乗った号車に現れたのはほんの数分前。しばらく周りのエジプト人乗客となにやら言い合うと、車両後方の乗客が全員、しぶしぶと立ち上がって荷物をまとめはじめた。どうやらここにはもう乗っていられないみたいだ。えー?ちょっと待って。降ろされちゃったらいやだなあ。ようやくアジア人が一人乗っていることに気付いた乗務員は、どうやらそのまま立ち去るか、面倒をみる努力だけでもするべきか、迷っているようだった。そのそぶりから、彼は英語は話せまい、と悟った。

傍らの空席に広げたiPhoneやペーパーバックなどを急いで片付けながら立ち上がる。
「どうしたの?えーと、どうすればいいの?」
乗務員「¥%&¥%&○△□¥!」
まいったなあ。周りの人もだれも英語分かんないのか。ムムム。。(今俺はすごく困っているんだぜ!)

思いっきり困った顔をしていると、すでに移動しはじめていた乗客の一人が親切にも「スリー!スリー!」と教えてくれた。
「スリー?すりーって?3号車に行けばいいの?」
乗務員「○△□¥%&#○!」
乗客「すりー!」
「3号車だったらどこ座ってもいいの?」
乗客「すりー!」
乗務員「¥%&¥%&○△□¥!」
「うん。なんとなくわかったよ!ショクラン!」

理由はなんだったんだろうなあ。結局最後まで分からなかったが、そこそこ揺れる列車内を3号車まで移動すると、適当に空いてる席に腰を降ろした。まあいいや。いくらここに座ってるのがマズかったところで、走ってる列車から放り出されたりはしないだろう。


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アスワンを走り出した頃の車窓。真ん中で旋回しているのは鳥。撮ってるときは気付かなかったけど、ラクダ写ってるね!

ナイル川沿いを走る車窓からは、いままでに行った事のあるどの国とも違う景色が見て取れた。焼きレンガで作られた簡素な住居。肥沃な土地に延々と生い茂る堂々とした草木。点々と見受けられる放し飼いの家畜。鶏。牛。はじけるような笑顔で走り回る裸足の子供たち。軒先で夕食の支度をする女性。洗濯物には砂漠の砂の色。ノーヘルでバイクを飛ばす少年。牛車の荷台で寄り添うおじいさんと孫娘。まばらな建物の一階に位置する小さな商店の店内にはすでに灯りがともり、両隣の家族がその日の仕事を終えようとしている。昔どこかで自分も知っていたような、胸をしめつけるような懐かしさに思わずむせる。そしてその全てを支えるナイルに、今日もまた夕陽が沈む。

ぼっけーと、その様子を眺めていた。傷だらけの窓ガラス越しでも十分その世界は美しく、薄暗い蛍光灯の車内や、じっとりと湿って重い座席シート、味気ない内装も、全てがいとおしく思えてくる。あんまり、いろいろきちんとしてない方がいいのかもなあ。ここには人の持つ愛すべき曖昧さがあふれている。

感傷にひたるというよりは、旅の真骨頂であるセンチメンタリズムを謳歌しているところへ、なにやら隣の座席の親子のやりとりが聞こえて来た。アラビア語だけど、やっぱり分かるときは分かる。

お父さん「彼と話したいんだろう?行って来たらいい。」
少年「うーん。。でもやっぱり恥ずかしい。」
お父さん「なーにを恥ずかしがっとるんだ。ほれ。」

そう行ってお父さんが背中をポンと押すと、少年はもじもじと俺の横に座った。アフメッド君だ。(エジプト人の5人に一人は、ムハンマドかアフメッドだ。これにマフムッド、サイード、ムスタファを加えると全体の4割を越える。)


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アフメッド君。お父さんもめっちゃいい人。田舎の人はやっぱり暖かい。途中の駅で乗り込んで来たお菓子売りからポテチを買うと、お父さんが奢ってくれました。

アフメッド君もお父さんも英語は全く喋れないし、俺はアラビア語が喋れないのだけれど、どれくらいだろう、ルクソールまでの残り1時間半ほど、身振り手振りでいろんな話をしたよ。一緒にiPhoneのゲームで遊んだり、持ち物を見せ合ったりもした。ここのところずっと身に着けていた2重巻きの革製ブレスレットをアフメッド君の右腕に巻き、出会った記念にもらって欲しいと言うと、彼は道中それをじっと眺めては、何度か返そうとするのだが、その度にお父さんがいいからもらっておきなさい、と言ってくれるのだった。

列車がルクソールに近づくころ、お父さんが俺になにかをしきりに伝えようとしていた。身振り手振りのジェスチャーだが、なんとなくその内容も分かっていた。このままルクソールを越えて、彼の街まで一緒に行こう、我が家に君を客人として迎えよう、ってな感じだと思う。自分でもとても驚いたのだが、俺はお父さんの話が分からないような素振りで、ほんとうに大切に二人にお礼を言うと、ずっと来たかった街、ルクソール駅に降り立った。


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ルクソール駅。なんかこの辺からピンボケ多いなあ。てきとーになって来てるんだと思う。

さあ、どんなもんだ悪名高きルクソールの客引きよ。あっという間に取り囲まれて変な宿へでも連れてかれるのかな。なんて警戒していたせいか、拍子抜けするほどあっさりとメインストリートを渡って、裏路地を歩いていた。うーん。やっぱりどんなところも自分で行かないと分かんないもんだなあ。そう思いながら、目を付けていた中級ホテルを目指し突き進むと、やっぱりカイロともアスワンとも全く違うんだなあと、華やかな街の光景に胸が躍った。タイト目な洋服を売る男性洋品店がかなり目につくことからも、アスワンのような朴訥とした雰囲気でも、カイロの混沌でもなく、ここには若干野蛮なナイトライフがあることが嗅ぎ取れた。

その危険な香りのする街、ルクソールで俺が最初にすることと言えば、もちろん、迷子になることだ。半泣きになりながら何度も同じ道を行ったり来たりしたあげく、歩き方の地図上のどこに自分がいるのかさえ分からなくなった後は、手当り次第に道を尋ね、ずいぶんと遠回りして、目指していた宿にたどり着いた。足いってえええ。今日こそは寝るぞー。ちょっとでも寝ないと、さっすがにぶっ倒れそうだ。そう思って個室のある中級ホテル(2000円ほど)にチェックインすると、何故かさっそくシャワーを浴びて、初登場グッチのTシャツを着て、屋上にあるというナイル川を見下ろせるプールとそしてバーを目指して意気揚々と階段を駆け上がっていった(実はこれがこのホテルの決め手だったのだ!)。ひょおおおおおう!飲んだらああアアア!!酔っぱらってプール飛び込んじゃったりして!!どうしよう!


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ちーん。

がらーん。としたプールサイド。灯りは消え、バーも閉まっている。人っ子一人いやしない。ちーん。という音が頭の中でずっと鳴っている。手でちょっとだけちゃぷちゃぷやってみる。うん。あるね。プール。バーも。やってないけどね。うん。

ちーん音が消えないままうなだれてフロントへ行き、明日のプランを相談していると、なんと気球ツアーがあるじゃないか。こりゃ行くっしょ!気球一人前!たのんます!

気球ツアーは朝6時に出発し、9時には終わる。ハルガダ行きのバスは午後4時の出発だから、少なくともその間にハトシェプスト葬祭殿、王家の谷ぐらいは回れるだろう。バス停と宿はナイルの東側、イーストバンクにあり、王家の谷は対岸であるウェストバンクにある。けっこうタイトになるだろうから、プライベートドライバーの予約もしておこう。あのですね、こういう行程でまわってこれぐらいの時間に戻ってくるタクシーを雇いたいんだけど。

レセプション「そのルートだと、プライベートタクシーは、えーと、400ポンドですね。」
おっと聞き間違えた。
「あ、ごめん、いくらだって?」
レセプション「400ポンドです。」
「はっはっは。冗談言っちゃって。そんなにするわけないじゃん。」
レセプション「いや、ほんとに400ポンドなんです。」
「またまたー。いくら値段交渉って言ったってそりゃあないっしょ。」
レセプション「いや、ほんとに400ポンドなんですって(泣)。」
「え?まさかホントに?だって、2カ所遺跡回るだけだよ?しかも2時半には戻ってくるから、4時間ちょいの行程で400ポンド取るってこと?」
とてもとてもばつが悪そうに、レセプションの男性は声をひそめてこう言った。
レセプション「マネージャーに言ったんですけどね。どうしても400ポンドだって言うんです。」
「じゃあいいよ。タクシーぐらい自分で見つけるから。値段が高いとかっていうより、そんなのフェアじゃないもん。カイロで丸一日雇ったプライベートカーだって150ポンドだよ。」
レセプション「そうですよねえ。じゃあ、こっそり教えますけどね、気球乗り場はウェストバンクにあります。渡し船でウェストバンクに行き、気球ツアーが終わったら、イーストバンクには戻ってこないで、向こうの船着き場でタクシーを探すと時間の短縮になりますよ。」
「あ、それいいね。そうする!ありがとう!」

その後は夜の街へ繰り出すも、金曜(エジプトの休日)ということもあってほとんどのレストランがお休み。川沿いに観光客向けだけど雰囲気のいいレストランをようやく見つけて、ひさしぶりにゆっくりと、腹一杯食べることができた。何本目かのビールを飲みながら、アルケミストのページをめくり、今日まで考えていたことにある程度の決着をつけてみる。心にも俊敏さが必要だ、と思った。ぱっ、と戦闘態勢に入れるような。もしくは、何にも怯えないような。それなくして、普段のガードを下げる事は不可能だ。


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ルクソールのイーストバンク。


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写真中央のレストランでご飯。美味しかった!

いい気分で宿に戻る途中、いかにも陽気なエジプト人に声をかけられた。
男「ハロー!お前日本人か?」
「ああそうだよ。おやすみー。」
男「ちょっと待てよ!これからどうするんだ?」
「これから?宿に帰って寝るよ。」
歩き去ろうとすると、横に並んでついてくる。
男「面白いもの見せてやるからさ、俺のボートに来いよ!」
はた、と足を止めて、このめっちゃフレンドリーな笑顔の男の方へ向き直る。
「なんで俺がお前のボートに行くんだよ?何されるか分かんないのに。」
男「ヘーイ、マイフレンド?俺が悪人に見えるか?信用してくれよ?」
「まず最初に、俺はお前のフレンドじゃあない。それに、たった今出会ったお前をどうやって信用する?」

そう言って宿へ戻った。はっはっは。信じられない台詞だなあ!でも、いいかも知んない!(続く)


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ルクソール神殿。オベリスクが見たいなあ。

POSTED Tuesday, November 30, 2010 18:42

エジプト旅行記⑦ 10月28日後編〜10月29日前編

アスワンの空港に着いたのは日付が変わって29日、午前0時を回った頃だった。東京を出発するときには考えてもいなかったエジプト航空の国内線に乗り、機中では後ろの座席の天使のような子供にずっと頭をいじられながら、いよいよエジプト旅行はカイロ以外の街へとそのルートを伸ばしはじめていた。

真夜中のアスワン空港では、"Takeshi"と書かれたカードボードを手にした男性が待っていて、宿で仮眠を取った後、アブシンベル神殿行きのバス停まで案内してくれるということだった。どうやらソニーはこういった人間関係を国中の観光地に築いており、この男性にソニーは友達なのかと聞いてみると、実際に会った事は一度もないということだった。

夜道をかっとばす車中がやけに明るいのはルームライトがつきっぱなしだからだが、その理由は尋ねるまでもなく、この車のヘッドライトが切れているからだ。カイロの街で歩行者をどかすためにクラクションではなくパッシングをしている車を見かけたら、その車はまず間違いなくホーンが壊れている。最初そういう車を見かけたときには、ああ、ずいぶん紳士的な人もいるもんだ、なんて思っていた。「人は目に見える事実ではなく、そこに自分の見たい物を見る。」まるでアルケミストの酒場のシーンと一緒だな、なんて考えているうちに、アスワンハイダムを横目に車は市街地へと入り、決して大ぶりではないが小綺麗なホテルの前で停車した。

エジプトに来て初の一人部屋は2時間ほどの仮眠だけで終わり、これなら別に道ばたでも良かったけどなあなんて思いながら、バス停に到着したのが午前3時半。武装した警察車両に前後を挟まれ、コンボイ状の車列でアブシンベル神殿を目指すのだが、ルクソールの襲撃事件やハルガダでの爆弾テロ以降、いかにエジプト政府が観光産業を守る事に心血を注いでいるのかが伺えた(そのために多くの弊害も起きている)。バスにはさまざまなツアー客やバックパッカーがすし詰めで詰め込まれ、3時間強の間、補助席で揺られたのはケツには意外ときつかったけど、ここには集団行動の要素は全くなかったから居心地はそれほど悪くなかった。


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コンボイを構成する車両が続々と集結する。俺が乗ったのは画面右、手前のバス。

(にも関わらず、なんだか少しやさぐれはじめてるぞ。一人でいるのは自ら望んだ事なのに、なんでツンツンしてんだっつうの。どうせ溶け込めないなら、先に自分から閉じてしまえってか、この臆病者め!)

なんて思考で何度目かの砂漠の朝を迎え、午前7時を若干過ぎた頃、歩き方の遺跡BEST1位だったアブシンベル神殿に到着しました。イェーイ!

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コンボイとは言え、車間はけっこう開き、、ってかさすがに離されすぎじゃないッスか??

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アブシンベル大神殿。空すごいきれい!

ラムセス2世とネフェルタリの間にあった絆は、きっとどんなものより強かったに違いない。数千年の時を経て遺された遺跡からは、今もはっきりとその温もりを感じることができた。ため息が出るほど荘厳な建築も、壁画も、そのことほどには心を動かさなかった。

アブシンベル神殿の巨大立柱を眺めていると、ふと日本人観光客二人組に声をかけられる。そう言えばロンドンのナショナルミュージアムでもこんなことあったっけ。なんだかツアー先で誰かに話しかけられたような、そういう良く知った空気に癒されながら、時間めいっぱい遺跡を駆け回り、9時出発のバスにギリギリ間に合うように駐車場に戻ると、運転手が自分の他にもまだ数人の帰りを待っていた。目の前に広がる巨大な美しいダム湖を眺めているうちに、もっと広い心が欲しいなあと思った。広い心ってそもそもどういうものなのかさえ分かんないけど、どうしてか、なんでもかんでもいいよいいよーって言うだけとは違う気がする。


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アスワンハイダムの建設で生まれたダム湖。美しいが、その影響でこの地域に雲が出来るようになり、気候全体が変わりつつある。いい変化になるといいなあ。

帰りも補助席に座ろう。そうじゃないと誰かがあのケツの痛みに苦しむことになるからな。ほんの少しのそういう気持ちと、お前俺の席取りやがったな、なんて数時間思われ続けたら面倒くせえという大部分の気持ちのせいで、外でぼけーっと補助席以外の席が埋まるのを待ってからバスに乗り込むと、席順はすでに来た時と全く変わっていることに気がついた。ま、そんなもんでしょ、と思いながら補助席を出していると、車両右の窓側、一人がけの席に座ったおじさんが、左側の奥さんらしき人の隣の空席に移動して、親切にも声をかけてくれた。

白人男性「(さっきまで彼が座っていた席を指して)ここ座んなよ。ほら。」
「あ、いや、いいんすよ。俺ちっちゃいから補助席ぴったりだし。」
白人男性「いやいや、空いとるんじゃから。補助席から埋まったら後の人も乗りずらかろう。」
「うーん。。ま、そう言うなら。」

と、窓側に座ったのだが、最後に乗り込んで来たアメリカ人カップルが二人とも補助席に、縦に並んで座る事になったあげく、元々彼らの座っていた席に座っている乗客にやんわりと文句を言い始めたので、席の交換を申し出た。

「換わるよ。俺もともとそこだから。」
アメリカ人女性「いいの。大丈夫。」
アメリカ人男性「換わってもらえばいいじゃないか。君は体調が悪いんだから。」
「うん。ほんとに。全く気にしないで。」
アメリカ人女性「いいの。ほんとに大丈夫。」

しばらく説得しても頑に席を換わろうとしない女性の方は諦めて、旦那にあんたこっちくればいいじゃん、と言うも、まあ彼女が大丈夫だって言うんだから、とバスはそのまま発車した。道中、女性はなんとか眠れているようで、暇そうにしていたアメリカ人の旦那ジョンとしばらく会話をしたあげく、俺は彼のiPodに入ったエジプト古代文明の解説を聞きながら、彼は俺のアルケミストを読みながら、一路アスワンの街へと戻った。てきとーにバスを降りて迷子になっている俺を見て、ジョンが一緒に探してあげようか?と言ってきたのだが、体調の悪い彼女を気遣うところを見るとこれは彼一流のお別れなんだろうなとすぐに分かった。

「自分の道ぐらい見つけられるよ。ありがとう。」
「そうか。がんばってな。」
ニコリと笑って去って行くジョンを見て、京都でぶぶ漬けを薦められたときもおんなじことが出来るかなあ、と思うのだった。

アスワンのスーク(商店街のようなもの)でひとり昼食をすませると、ルクソール行きの電車まではまだ一時間ほど残されていた。偶然にも神殿で出会った日本人二人組とスーク内で再会し、3人でシーシャを吸ったのは、この旅の中でもとりわけ素敵な思い出の一つだ。;-)


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ピンぼけだけど、お昼ご飯。店内のテレビではずーっとモスクの生中継。

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アスワンのスーク。

そう言えば一つ、やり残したことがあった。カイロを出たときの計画通りに行けば、残りの日程はルクソールの遺跡群観光に費やし、夜行列車でカイロに戻ることになるのだが、一等寝台、個室の夜行列車に興味が持てないことに加え、どうしても、ここまで来たならどうしても、紅海で泳ぎたい、なんて思いが強くなってしまったので、アスワンのガイドから受け取る手はずになっていたルクソール〜カイロ間の列車チケットを、払い戻す必要があった。

例の宿の男性に駅まで同行してもらい、払い戻しの手続きを済ませると、彼の手元には40USドルと言うちょっとした大金が手に入った。それは俺の払い戻し金なのになあと思う俺を尻目に、彼は紙幣を握りしめたままソニーに電話をかけた。アラビア語での会話だが、なぜかこういう会話は分かるもので、たぶんほとんど間違ってはいないだろう。

宿の男性「40ドルあるけど、こいつにいくら渡せばいい?」
ソニー「40ドルだ。」
宿の男性「何言ってるんだよ?こいつは日本人だぜ?馬鹿らしい!」
ソニー「いいから黙って全額をタケシに渡すんだ。」
宿の男性「じゃあ、20ドルでどうだ?」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「30ドル!」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「35。」
ソニー「ダメだ。」
宿の男性「・・・・。」

しぶしぶ40ドルを差し出すその手からパッと現金を受け取ると、一日ありがとうと礼を言ってチップを渡し、すでに到着していた列車に乗り込んだ。ソニーってやるなあ。でもって、こいつは信用出来そうだと思った俺の勘も、たまには当たるもんだと思った。(続く)



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アブシンベル神殿の横にある、ネフェルタリのアブシンベル小神殿。

両者ともユネスコにより、水没をまぬがれた。

POSTED Tuesday, November 23, 2010 23:29

エジプト旅行記⑥ 10月28日 前編

朝6時に目覚めると、空が真っ白になっていた。夜空を覆い尽くしていた無数の星たちはとうにその姿を隠し、昼まで寝過ごしてしまったんじゃないかと思えるほどだったが、しかし不思議な純白の空を360度見回してみても、まだどこにも太陽は見えなかった。

すげえなー。太陽出てなくてもこんなに明るいんだ、なんて思いながらモソモソと寝袋から出て、シュラフの上にかけてあった毛布を今度は体に巻き付けて、ぼんやりと赤く染まり始めた地平線を、ふたたび独り占め出来るところまで歩いて行くと、その寒さに歯がかたかたと鳴った。

腰をおろした石灰岩があまりにも冷たかったので、毛布の端を尻の下に敷き、どんどんと赤くなっていくその中心をしばらくじっと見つめていると、全ての静寂を切り裂くようにして、それはそれは暖かい光が差し込んだ。

その瞬間、ああ、全ての生命が歓喜するんだろうなこれは、と数万年待ち焦がれたような気分になった。太陽が出ている。嬉しい。暖かい。物体に感じる想いじゃないなあこれ。間違いなく、星は生きている。


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この来光を見たとき、心が突然迷子になってしまった。その後数日間、一体俺はこの人生で何をやっていくんだろう、と考え続けることになる。

背後では起きだした旅人たちがドライバーの入れた紅茶をすすっていた。もう目を逸らしてもいいかと思えるまでその場で来光を眺めた後、再び彼らに加わった。


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チキン・マッシュルームと呼ばれる奇岩。もともと海底だったサハラに石灰岩が堆積し、長い年月をかけ風で削られて、この姿になった。

その後は、来た道を逆へ辿ってカイロへ戻る。バハリヤでベルギー人2人組と別れ、ミスターアフメッドにお礼を言い、再びオアシスのバス停からカイロ行きのバスに乗る。隣にはパキスタン人3人組の旦那、アミンが座った。

「やあ、これ来た時のバスより全然いいバスだよ!快適だなあ!」
アミン「僕たちが乗って来たバスはこれよりもっと綺麗だったよ(笑)。」


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バスの中から見えるバハリアの街。

ときおり少し疲れたような顔を見せるアミンと、砂漠や、アフリカのこと、中近東やアジアについて、そして貧しい国のことをずいぶんと語り合った。恵まれている側にいてさえはっきりと感じられるが、この世界はずいぶんと不公平だ。砂漠からオアシスへ戻る途中にあった検問の警備兵が、俺たちのジープの無口なドライバーに金をたかっていたのを思い出した。クンは、あの警備兵の月給はだいたい40ポンド(760円)ぐらいだろうと言っていた。

砂漠を走る事数時間、行きに降りるのを躊躇したサービスエリアに再びバスが立ち寄ったとき、最初に感じた不安なんてもうなんでもなくなっている自分に気がついた。日本人パッカーを珍しそうに眺めてくるムスリムの視線も気にならなくなった。気にならなくなったせいか、視線はもうそれほど飛んでこなくなった。

込み合った売店に立ち寄ると、ナッツをキャラメルで固めた菓子が目に入った。うわー美味そうだなこれ!
「これいくら?」
店員「1ポンド。」
1ポンド硬貨と1ポンド札を共に切らしていたので、嫌な予感はしつつも5ポンド紙幣を手渡す。
「お釣りある?4ポンド。」
店員「ない。」
ないわけないだろー(笑)。でもまあ先に5ポンド紙幣を渡した俺が阿呆なのだ。ないと言い切ったきり5ポンド紙幣を返すそぶりもなく、ごった返したカウンターに群がる(エジプトでは列は滅多にできない)次の客の相手をしようとしている店員に、
「じゃあ残り4ポンド分は、他のお菓子を持って行くよ。それはいいよね?」
と尋ねると、あろうことかその返事はたった一言
店員「だめだ。」
だった。

カッッチーーン。いや、確かに世界は不公平だろうぜ。そして4ポンドを俺からむしり取るのは別に難しい事でもなんでもないさ。だって俺もともと限界まで値切ろうなんて考えてないもん。だけどな、今の話は、数学的にも、論理的にも、全くおかしいだろ!ジャンとパピルス屋のような、なんかこう、あんだろうそういうのがああ!!

「なんだとこの野郎!?NOっつったか!?」
こんのやろー返答次第じゃただじゃおかねえからな!するとようやく表情が浮かんだ店員が
店員「あ、いや。YES。」
と許可してくれたので、肩を震わせながらずんずんとお菓子コーナーに戻り、行きに食べて美味しかったウェハース(ちゃっかり)その他のお菓子をわしづかみにして、奴の顔にぐいっと差し出した。
「これとこれ持って帰るからな!」
と言い捨てると、しぶしぶコクリと頷く奴を背に、お菓子ウォーズは終結した。フー。そうだった。エジプトってこうだったこうだった。

そんなこともあったせいで、ギザ駅まで行くはずのバスが、渋滞がひどいからもうこれ以上走りたくないという至極真っ当な理由で、ギザよりずいぶん手前の人でごった返したバス停で停まったときには、もう特に驚きもしなかった。
「えー、てかどうしたらいいんだよ?」
運転手「知らん!メトロで行け!メトロじゃ!」
と前方を指差していたので
「あっちに行けばメトロあるの?」
運転手「メトロじゃ!」
何を聞いても「メトロじゃ!」しか言わん運転手にこれ以上聞いても無駄だと確信し、アミンと奥さん、その友人に丁寧に別れを告げ、すたすたと一人で歩き出すと、あ、一人旅再開だ、と気付くのだった。

駅を見つけるのに多少手間取ったものの、メトロ自体はもう乗り方分かってるもんね、なんつって難なくサッダート方面行きの電車に乗ると、砂漠から帰って来て砂だらけ、風呂も入ってない日本人は、その車両でもとびきり汚かった。申し訳ないなあと思い、ドアにもたれかかって小さくなっていると、つり革に捕まった乗客が今までの人生では見たことのない表情で俺を見つめていることに気付いた。うん?なんだろうと見回すと、2本の線路を隔てた反対側のホームから、お母さんに手を引かれた女の子が一生懸命俺に手を振っている。エジプトでは、子供たちは旅行者が大好き。どこで見かけても必ずとびきりの笑顔で手を振ってくれるのだ。

発車する電車の中では、小汚い日本人パッカーが、なにかに救われたかのような笑顔でその女の子に精一杯手を振り返していた。

エジプトの電車には、降りる人が先、などと言うルールはない。自分の降車駅が近づくと、降りたい人たち(降りる人、ではない。降りたい人、だ。)がドアの後ろに集合して、今から始まる押し合いに備える。そのとき芽生える奇妙な連帯感や、やあ、この人は押しが強そうだから大丈夫だなとか、そんな感覚も普通だ。果たして降りたい連合の圧勝で無事サッダート駅に降り立ったあとは、今度は迷う事もなく宿に戻ることができた。笑顔で迎えるウィリーの顔を見ると、砂漠の旅に出かけたのがもう随分と昔のことのように感じる。シャワーを浴びて航空券と列車のチケットを受け取ると、アスワン行きの飛行機まではまだしばらく時間があったので、夕食は一人でコシャリを食べに出かけることにした。

初日に行ったコシャリ屋は割とすぐに見つかった。とにかく腹ぺこだったので、「でっかいのください」と言うと、自分の胃袋の倍はありそうなコシャリがやって来たのだが、その時思ったのは「全然足りないよ!」だ。

エジプト人のおじいさんと相席で、恥ずかしいぐらいコシャリにがっついていると、テーブルの上に調味用のお酢と真っ赤な辛いソースが乗っていることに気付いた。お酢を少し足してみる。うん、うまい!からいソースはとても辛いので気をつけろ、って歩き方に書いてあったな。ちょっとだけかけてみようっと。えーっと、そーっと、そーっと、そーっと、

どばっ

無表情だが優しいオーラを発している相席のおじいさんの顔に、ほんの一瞬ではあったが、

おわっ

と言う表情が浮かんだのを見逃しはしなかった。店の反対側のテーブルで屈強そうなアラブ系の男性が、細やかな所作でそのソースを

ちろっ

とかけているのを見て、これは長い闘いになりそうだと、ペプシを買いに席を立った。えーと、大盛りを頼んでおいて残すのだけは絶対に嫌だし。しかも俺は食事の前にお百姓さんのことを思って手を合わす日本人だ。ガシャガシャとソースをかき混ぜると、何故か「俺すっげえ辛いの好きなんすよおおお!」的オーラを出しながら激辛コシャリをかき込んだ。

ぶふっ

鼻からコシャリ出そうになったじゃねえかよおおお!かっれええええええええええええええええ!!!!!くない!かっれえええええ!くないっすよ!あっはっは!うまい!かっれえええ!くない!

キリキリと痛む胃のSOSは無視して猛スピードで激辛コシャリをかき込み、一人SMショウをおじいさんに披露して残りあと数口となったとき、レジの若者がジェスチャーで

(お前!汗すごいぞ!!だいじょうぶか!)
(うん?ああ、大丈夫だよ!!)
(そうか!まあナプキン使え!)

と紙ナプキンを手渡してくれたのだが、その時紙ナプキンで拭かれたものが果たして汗だったのか涙だったのかは、今となっては自分でも思い出せない(泣)。(続く)


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7人を乗せて砂漠を走ったジープ。奥に見えるのはフランス人夫妻のサポートカー。

ドライバー同士はお互い協力し合う顔見知り。