POSTED Thursday, January 5, 2012 20:47
エジプト旅行記⑩ 10月30日 中編
エジプト旅行記①〜⑦→2010/11/6〜11/30
エジプト旅行記⑨→2011/2/17
エジプト旅行記⑪→2012/6/21
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エジプト旅行記⑩ 10月30日 中編
タクシードライバーのアフメッドさん(仮)は見た目60近いエジプト人男性。痩せてはいるが背が高く、背筋はまっすぐに伸びていて、目尻に刻まれた無数の笑い皺が明るい人柄を示しているが、その瞳は今も力強い。褐色の肌に蓄えた髭が、長くこの地で生きて来た誇りのようなものを思わせた。ほとんどのエジプト人男性と同じく押しが強いものの、そこまでがめつい交渉をしてこなかった上に、会話がとても気さくな感じなので、いいドライバーに当たったなあと胸をなでおろす。でもここまでさんざダマされて来たからなあ。油断だけはしねーぜ、とタクシーに乗り込むと、多様な国籍の旅行者が「いかにアフメッドが良いガイド兼ドライバーか」「いかにアフメッドとの観光が素晴らしいものになったか」を書き連ねたノートがあって、読めと言うのでぱらぱらとめくってみる。うん。わかったぜ!だからハトシェプスト葬祭殿へやってくんな!
日が高くなり早朝の清々しい印象とは表情を変え、荒々しく輝き始めたナイルを背に、砂漠の谷に作られた舗装路を走り出すと、これまでの旅ではまだ見た事のない景色が視界に広がった。山?なんだろうけど植物が全くないから、岩と砂だけの巨大な砂場のようなものがアスファルトの道路を挟んで延々と広がっている。砂漠でもぼちぼち動物に出会えたんだからさ、きっとこの山々にも生命は息づいてるんだろうけど、それにしてもでっけえ砂山だなあ!ちょっと新しいぜ。タクシーと言っても日本のタクシーとはだいぶ異なる様相で、年式の古いかなり揺れる車だ。エアコンなんてもちろんないから窓は全開。乾いた風が汗ばんだ髪を巻き込んでとても気持ちがいい。
ほどなくしてハトシェプスト葬祭殿へ到着!やあやあ!さっき気球の上から見たのとは大違いだなあ!この旅では観光名所でもガイドを雇わなかったから、その成り立ちなんかはよくわからないまま歩いたけれど、ここは1997年11月のルクソール事件の現場である。犠牲となった数多くの方々のご冥福を祈り、しばし今の世界を思う。
ハトシェプスト女王葬祭殿は広いテラスに礼拝所や至聖所が配置された3階建ての建造物で、とても紀元前1500年ごろの建物とは思えないほど近代的な外観をしている。ところどころレリーフの赤や青が今も鮮やかに残り、岩肌や砂と同じ色で記憶されている数々の遺跡たちが、かつてはどんなに色彩豊かだったのかを想像してみようとするけれど、残念ながら記憶の中のスフィンクスを美しく塗り上げることはできなかった。もっと想像力があったらなあ。
時計は12時を回り、日差しがいよいよ強くなって、ハトシェプストを後にしようと歩き出した。サングラス越しでも目を細めたくなるような日差しの中、こんだけ強烈なお天道さんにも背を向けなくていいくらい、堂々と生きたいと思った。ここ数日の自分の心の不安定さが、答えを求めて歩き出したようだった。
タクシーを降りたところまで歩いて戻ると、あれ?アフメッドさん、その子誰だい?
「息子のマフメッド(仮)だ。学校が終わる時間だったから迎えに行って来た。」
「あ、そうなんだ。よろしく。たけしって言います。」
タクシーのリアシートにはこれまた笑顔の素晴らしく可愛い男の子が座っていた。英語は全く分からないようで、アラビア語でいっぱい話し掛けてくれるのだがまっったく分からない。すまん!言葉の通じないままモハメッド君とじゃれているうちに、ついに車は王家の谷へとやってきた。王家の谷。小学生の頃生まれて初めて聞いたこの名の地へ、ほんとうにやってきたんだな。ここには、ツタンカーメンや、ネフェルタリのお墓がある。
やおらアフメッドが口を開いた。
「カメラとバッグは置いて行った方がいい。持ち込み禁止だからな。カバンは入場口で金属探知機に通さなければいけないし、カメラが見つかると没収されて帰ってこない事もあるぞ。」
おっと、そうなのかい?いやー、しかしそれは危ないぞ。だって明らかに半日ドライバーの報酬よりも俺のデジカメの方が高いもん。でも確かに、ここまで撮った写真が全部入ったカメラを没収されるのもきついなあ。えーと、考えうるシナリオは・・・。
シナリオA)
アフメッドの言った通り、ヤクザな警備員にカメラを没収される。帰りに返すとかなんとか言ってなんの紙切れも渡されず、いざその段になるとお前のカメラなんぞ知らん、お前と話した記憶すらない、とかなんとか言われるのが容易に想像できる。うん、はっきりと目に浮かぶぜ。そしたらまた大暴れしないといけなくなるなあ。シフト交代で人が変わっちゃったりした日にはそれっきり帰ってこないだろうなあ。
シナリオB)
アフメッドの忠告に従い、カメラだけ(バッグを置いて行く奴はさすがにおらんだろう)置いて行って、王家の谷を時間目一杯堪能して戻ってくると、アフメッドのタクシーはどこにもいない。あちゃー、やっぱりかーと思いつつその場でタクシーを探してもきっと人待ちの車は簡単には見つからないだろうな。歩いて帰るには遠すぎるし、そもそも時間がかかりすぎるからどうしても乗らないといけないとなると、絶対にものすごいふっかけられるぞ。そしたらここまでの交渉もすべてパーだ。ハルガダのホテルで、涙で枕を濡らすことになるのは嫌だなあ。
さて、どうしよう。エジプトでは銀行やホテル、観光名所などの入り口にはおおむね金属探知機が設置されていて、強面のガードマンが無言で荷物を通させる。それはすでに何度も経験した。でもさあ?そのすぐ横のドアが開いてて全然そっち通れたり、裏口が普通に開いてたりしてまず意味をなしてないじゃんか。それ以前に、何っ回もカメラやブックライトを入れたまま金属探知機通したけどさ、一回も反応したことねえじゃん。電源入ってんのかそれ?ていつも思ったっけ。よし、そもそもシナリオA)のが失うもの少ないわけだし、持って行こうっと。
「いや、いいよ。このまま全部持ってく。」
「本気か?カメラは置いていった方がいいぞ?車の中は安心だぞ?」
「ま、いいんだよ。気が向かないし。じゃ、行ってくるよ。2時ちょっと前にちょうどこの場所に戻ってくるから。」
「わかった。」
そして満面の笑みで手を振るモハメッド君に手を振り返しつつ、王家の谷のエントランスへと歩を進めた。
すると、あちゃー、ほんとにカメラ禁止って書いてあるよ。入り口にでかでかと張り紙された「カメラ持ち込み禁止」のサイン。その脇にある日本の普通のマンションのドアぐらいの大きさの入り口から、10人ほどの列が続いている。その奥には確かに金属探知機らしきものに荷物を通す白人旅行者の姿が見える。まあ、だからといって結論は変わらん、とチケット売り場で入場券とツタンカーメンの墓への入場券(同じ敷地内だけど別売り)を買い、列の最後尾に並んだ。すこしばかりドキドキしながら自分の番を待つこと数分、件の金属探知機(のようなもの)は俺のカバンの中のあらゆる金属に反応する事なく、もちろんデジカメにも反応する事は無く、そのまんま手元に戻ってきたのだった。電源入ってんのかそれ?
王家の谷は撮影禁止なので写真は一枚もないのだけれど、この旅での遺跡観光の実質的な締めがここで良かったと、ほんとうにそう思った。ここでは心は古代へと飛び、そこでの人々の生活や、そこで育まれた愛や憎しみ、そしてその景色に思いを馳せる。神々が実際にこの地上に君臨していたその時代にも、我々となにも変わらぬ人々が、飯を食い、恋をし、悩み、笑い、生きていたのだ。我々現代人が思っている世界だけが、世界の形ではない。遥か未来の人間たちは、21世紀の文明を振り返ったとき、果たしてどう思うのだろうか。
なんてことを思いながらいくつかの墓を見てまわり、ツタンカーメンの前にここに入ろう、と思った御仁の墓の前では、愛想の良いエジプト人男性が長さ30cm、幅15cmほどのダンボール紙を、墓に入っていく人々に微笑みと共に手渡していた。中を覗き込むと、旅行者が手に手にそのダンボールを持ち、日本のうちわのようにパタパタとあおいでいる。王家の墓はそれぞれ入り口こそ地上に顔を出しているものの、その先は地中深く迷路のように掘り進められており、何回層にもなっているものもあるほどで、何度も階段を降りていく道すがら、財宝で満たされていた部屋や、実際の石櫃を見る事ができるのだが、全く換気がなされないためその内部は猛烈に暑い。おお、こりゃすんません、助かります、とダンボール製即席うちわを受け取ると中に入った。
エジプトのヒエログリフにはそれぞれ意味があり、その墓の主の生前の物語などが描かれている。カンボジアでも壁画にはため息が出た覚えがある。ものすごい手間だよなあこれ。でももし文明が滅んで電気がなくなったら、現代人の歴史は書物でしか残されない事になるんだよなあ。やっぱ壁画か。
なんて思いつつ外に出ようとすると、さきほどのダンボール職人が出口に立ちはだかった。その顔からダンボールを手渡す時の笑顔はすっかり消えている。
「はい。利用料1ポンド。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
先にゆえやコラァアア!と言うのはこの国では(旅行者からは)通用しない。そうなのだ。旅行者にとって無料のものなどこの国にはないのだ。何度もそう思い知ったはずなのに(涙)。このダンボールの1ポンドを踏み倒すのは不可能ではない。ただそのためには壮絶なののしり合いの末、次の墓までひたすら「だってお前もうダンボール使ったじゃねえか!ちゃんと金を払え!」と怒鳴りながらついてくるオヤジに「うるせえ!俺はぜってえ払わねえからな!そうこうしてる間に他のヤツらバンバン出てってるじゃねえか!一体お前は何がしたいんだ!」とか怒鳴り返しつつ振り切らないといけない。無理だ。めんどくさすぎる。(後編へ続く)
エジプト旅行記⑨→2011/2/17
エジプト旅行記⑪→2012/6/21
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エジプト旅行記⑩ 10月30日 中編
タクシードライバーのアフメッドさん(仮)は見た目60近いエジプト人男性。痩せてはいるが背が高く、背筋はまっすぐに伸びていて、目尻に刻まれた無数の笑い皺が明るい人柄を示しているが、その瞳は今も力強い。褐色の肌に蓄えた髭が、長くこの地で生きて来た誇りのようなものを思わせた。ほとんどのエジプト人男性と同じく押しが強いものの、そこまでがめつい交渉をしてこなかった上に、会話がとても気さくな感じなので、いいドライバーに当たったなあと胸をなでおろす。でもここまでさんざダマされて来たからなあ。油断だけはしねーぜ、とタクシーに乗り込むと、多様な国籍の旅行者が「いかにアフメッドが良いガイド兼ドライバーか」「いかにアフメッドとの観光が素晴らしいものになったか」を書き連ねたノートがあって、読めと言うのでぱらぱらとめくってみる。うん。わかったぜ!だからハトシェプスト葬祭殿へやってくんな!
日が高くなり早朝の清々しい印象とは表情を変え、荒々しく輝き始めたナイルを背に、砂漠の谷に作られた舗装路を走り出すと、これまでの旅ではまだ見た事のない景色が視界に広がった。山?なんだろうけど植物が全くないから、岩と砂だけの巨大な砂場のようなものがアスファルトの道路を挟んで延々と広がっている。砂漠でもぼちぼち動物に出会えたんだからさ、きっとこの山々にも生命は息づいてるんだろうけど、それにしてもでっけえ砂山だなあ!ちょっと新しいぜ。タクシーと言っても日本のタクシーとはだいぶ異なる様相で、年式の古いかなり揺れる車だ。エアコンなんてもちろんないから窓は全開。乾いた風が汗ばんだ髪を巻き込んでとても気持ちがいい。
ほどなくしてハトシェプスト葬祭殿へ到着!やあやあ!さっき気球の上から見たのとは大違いだなあ!この旅では観光名所でもガイドを雇わなかったから、その成り立ちなんかはよくわからないまま歩いたけれど、ここは1997年11月のルクソール事件の現場である。犠牲となった数多くの方々のご冥福を祈り、しばし今の世界を思う。
ハトシェプスト女王葬祭殿は広いテラスに礼拝所や至聖所が配置された3階建ての建造物で、とても紀元前1500年ごろの建物とは思えないほど近代的な外観をしている。ところどころレリーフの赤や青が今も鮮やかに残り、岩肌や砂と同じ色で記憶されている数々の遺跡たちが、かつてはどんなに色彩豊かだったのかを想像してみようとするけれど、残念ながら記憶の中のスフィンクスを美しく塗り上げることはできなかった。もっと想像力があったらなあ。
時計は12時を回り、日差しがいよいよ強くなって、ハトシェプストを後にしようと歩き出した。サングラス越しでも目を細めたくなるような日差しの中、こんだけ強烈なお天道さんにも背を向けなくていいくらい、堂々と生きたいと思った。ここ数日の自分の心の不安定さが、答えを求めて歩き出したようだった。
[葬祭殿の2階テラスから入り口を向くとこんな感じ。]
タクシーを降りたところまで歩いて戻ると、あれ?アフメッドさん、その子誰だい?
「息子のマフメッド(仮)だ。学校が終わる時間だったから迎えに行って来た。」
「あ、そうなんだ。よろしく。たけしって言います。」
タクシーのリアシートにはこれまた笑顔の素晴らしく可愛い男の子が座っていた。英語は全く分からないようで、アラビア語でいっぱい話し掛けてくれるのだがまっったく分からない。すまん!言葉の通じないままモハメッド君とじゃれているうちに、ついに車は王家の谷へとやってきた。王家の谷。小学生の頃生まれて初めて聞いたこの名の地へ、ほんとうにやってきたんだな。ここには、ツタンカーメンや、ネフェルタリのお墓がある。
やおらアフメッドが口を開いた。
「カメラとバッグは置いて行った方がいい。持ち込み禁止だからな。カバンは入場口で金属探知機に通さなければいけないし、カメラが見つかると没収されて帰ってこない事もあるぞ。」
おっと、そうなのかい?いやー、しかしそれは危ないぞ。だって明らかに半日ドライバーの報酬よりも俺のデジカメの方が高いもん。でも確かに、ここまで撮った写真が全部入ったカメラを没収されるのもきついなあ。えーと、考えうるシナリオは・・・。
シナリオA)
アフメッドの言った通り、ヤクザな警備員にカメラを没収される。帰りに返すとかなんとか言ってなんの紙切れも渡されず、いざその段になるとお前のカメラなんぞ知らん、お前と話した記憶すらない、とかなんとか言われるのが容易に想像できる。うん、はっきりと目に浮かぶぜ。そしたらまた大暴れしないといけなくなるなあ。シフト交代で人が変わっちゃったりした日にはそれっきり帰ってこないだろうなあ。
シナリオB)
アフメッドの忠告に従い、カメラだけ(バッグを置いて行く奴はさすがにおらんだろう)置いて行って、王家の谷を時間目一杯堪能して戻ってくると、アフメッドのタクシーはどこにもいない。あちゃー、やっぱりかーと思いつつその場でタクシーを探してもきっと人待ちの車は簡単には見つからないだろうな。歩いて帰るには遠すぎるし、そもそも時間がかかりすぎるからどうしても乗らないといけないとなると、絶対にものすごいふっかけられるぞ。そしたらここまでの交渉もすべてパーだ。ハルガダのホテルで、涙で枕を濡らすことになるのは嫌だなあ。
さて、どうしよう。エジプトでは銀行やホテル、観光名所などの入り口にはおおむね金属探知機が設置されていて、強面のガードマンが無言で荷物を通させる。それはすでに何度も経験した。でもさあ?そのすぐ横のドアが開いてて全然そっち通れたり、裏口が普通に開いてたりしてまず意味をなしてないじゃんか。それ以前に、何っ回もカメラやブックライトを入れたまま金属探知機通したけどさ、一回も反応したことねえじゃん。電源入ってんのかそれ?ていつも思ったっけ。よし、そもそもシナリオA)のが失うもの少ないわけだし、持って行こうっと。
「いや、いいよ。このまま全部持ってく。」
「本気か?カメラは置いていった方がいいぞ?車の中は安心だぞ?」
「ま、いいんだよ。気が向かないし。じゃ、行ってくるよ。2時ちょっと前にちょうどこの場所に戻ってくるから。」
「わかった。」
そして満面の笑みで手を振るモハメッド君に手を振り返しつつ、王家の谷のエントランスへと歩を進めた。
すると、あちゃー、ほんとにカメラ禁止って書いてあるよ。入り口にでかでかと張り紙された「カメラ持ち込み禁止」のサイン。その脇にある日本の普通のマンションのドアぐらいの大きさの入り口から、10人ほどの列が続いている。その奥には確かに金属探知機らしきものに荷物を通す白人旅行者の姿が見える。まあ、だからといって結論は変わらん、とチケット売り場で入場券とツタンカーメンの墓への入場券(同じ敷地内だけど別売り)を買い、列の最後尾に並んだ。すこしばかりドキドキしながら自分の番を待つこと数分、件の金属探知機(のようなもの)は俺のカバンの中のあらゆる金属に反応する事なく、もちろんデジカメにも反応する事は無く、そのまんま手元に戻ってきたのだった。電源入ってんのかそれ?
王家の谷は撮影禁止なので写真は一枚もないのだけれど、この旅での遺跡観光の実質的な締めがここで良かったと、ほんとうにそう思った。ここでは心は古代へと飛び、そこでの人々の生活や、そこで育まれた愛や憎しみ、そしてその景色に思いを馳せる。神々が実際にこの地上に君臨していたその時代にも、我々となにも変わらぬ人々が、飯を食い、恋をし、悩み、笑い、生きていたのだ。我々現代人が思っている世界だけが、世界の形ではない。遥か未来の人間たちは、21世紀の文明を振り返ったとき、果たしてどう思うのだろうか。
なんてことを思いながらいくつかの墓を見てまわり、ツタンカーメンの前にここに入ろう、と思った御仁の墓の前では、愛想の良いエジプト人男性が長さ30cm、幅15cmほどのダンボール紙を、墓に入っていく人々に微笑みと共に手渡していた。中を覗き込むと、旅行者が手に手にそのダンボールを持ち、日本のうちわのようにパタパタとあおいでいる。王家の墓はそれぞれ入り口こそ地上に顔を出しているものの、その先は地中深く迷路のように掘り進められており、何回層にもなっているものもあるほどで、何度も階段を降りていく道すがら、財宝で満たされていた部屋や、実際の石櫃を見る事ができるのだが、全く換気がなされないためその内部は猛烈に暑い。おお、こりゃすんません、助かります、とダンボール製即席うちわを受け取ると中に入った。
エジプトのヒエログリフにはそれぞれ意味があり、その墓の主の生前の物語などが描かれている。カンボジアでも壁画にはため息が出た覚えがある。ものすごい手間だよなあこれ。でももし文明が滅んで電気がなくなったら、現代人の歴史は書物でしか残されない事になるんだよなあ。やっぱ壁画か。
なんて思いつつ外に出ようとすると、さきほどのダンボール職人が出口に立ちはだかった。その顔からダンボールを手渡す時の笑顔はすっかり消えている。
「はい。利用料1ポンド。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
先にゆえやコラァアア!と言うのはこの国では(旅行者からは)通用しない。そうなのだ。旅行者にとって無料のものなどこの国にはないのだ。何度もそう思い知ったはずなのに(涙)。このダンボールの1ポンドを踏み倒すのは不可能ではない。ただそのためには壮絶なののしり合いの末、次の墓までひたすら「だってお前もうダンボール使ったじゃねえか!ちゃんと金を払え!」と怒鳴りながらついてくるオヤジに「うるせえ!俺はぜってえ払わねえからな!そうこうしてる間に他のヤツらバンバン出てってるじゃねえか!一体お前は何がしたいんだ!」とか怒鳴り返しつつ振り切らないといけない。無理だ。めんどくさすぎる。(後編へ続く)
[王家の谷を出たところで振り返って撮った一枚。]
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