次にこの街に帰ってくるのはいつになるのかな。
なんて風にのんびりと名残を惜しむ余裕はなかった。最後の数日は文字通り最後の闘いになったからだ。直前の見通しでは予備日を二日残したままレコーディングの全工程が完了して、Robbieの家でみんなでジャック・オ・ランタンを作ったり、帰国前夜は馴染みになったイタリアンレストランでこの旅を振り返りながら乾杯をする予定だった。
(共同生活中にゆういちが作ってくれたカレー。何回も作ってくれました。)
ロスに来てからの約5週間、作業自体はかなり順調に進み、どうしても歌い直したかった1曲をこの日に録り切れば大団円という土曜日の朝を迎えた。俺自身、もう歌詞も出来てるしコンディションはバッチリだから、と安心しきっていたのだけれど、7月に書き上げてあった歌詞を久しぶりに読んだその瞬間、
「あ、、これじゃ駄目だ。。」
という直感が駆け抜けた。その時の気分を言葉にするのはすごく難しいけれど、やたらと居心地が悪かった。どうしよう。みんな今日で終わると思ってるのに。笑顔で乾杯できると思ってるのに。やめとけって、そんな直感無視しちまえば、みんなハッピーに終われるじゃないか。そう思ってスタジオまで行ったのだが、Robbieに「おはようタケシ、調子はどうだい?」と聞かれてつい口をついたのは「それがさ、あんまり良くないんだよね」だった。やっっちまった、と思った。
「今日のセッションは無しにして、月曜に延期できるかな。それまでにいろいろ完璧にしておくから。」
(レコーディングの真ん中ぐらい、みんなでJamieの家に遊びに行った時の夕陽。)
そこからは丸まる2日間、Uber Eatsを受け取るとき以外は一歩もホテルの部屋を出ることもなく、再録の準備にとりかかった。夜通し作詞をやり直している間、自分でも自分のことを阿呆だなと思ったし、ぶっちゃけコイツすげえなとも思った。絶対にこのアルバムを最高到達点まで押し上げる、そんな感覚で歯を食いしばってたんだけど、高橋が俺の大好きなお菓子とお水をドアノブにかけておいてくれたり、スコットの全力のサポートもあってそんなに苦にはならなかった。
そんなこんなで帰国の前日、午後11時をまわってようやくレコーディングが終了し、長かった俺自身の闘いも幕を閉じた。なんだかんだ一睡もできないままLAXに向かい、無事日本に帰ってきたのが日本時間で26日。翌日からは毎日ツアーリハだったので、なかなかこのブログを更新する時間がとれなかったです。ごめん!
(おや、こんなところに。次は沖縄で会いたいね!)
2月からここまで、俺たちのバンドの過去最大の挑戦を応援してくれてありがとう。今日のブログに書いたのは俺の挑戦のほんの一幕だけれど、3人のメンバーも、スコットも、それぞれいろんな局面を闘い抜いていたよ。本当に頼もしかった。でも、いくら作業が大変でも、5人でいるときはただただメチャクチャ楽しかったし、結局はそれが何よりも大事だった。
空港でウブに「最後の飯とか行けなくてごめん」と言うと、「いや、なんか、やるんじゃないかなと思ってました(笑)」だって。ガキの頃からの付き合いだもんな、と思った。
さて、まだまだアルバムの完成までにやるべきことは山積みで、そのどれも手を抜けない。油断してボケーっとするのはまだだいぶ先だ。それでも、俺は明日からのツアーを本当に楽しみにしている。「楽しむ」ことは大人になればなるほど難しくなってくる上に、楽しんでいると怒られそうな風潮すらあるような気がするけれど。明日はいっぱい笑おう。
楽しみじゃあああああ!!:-)
(出発まで8時間ぐらい。無理して飲み行った最後の夜。)