ネパール旅行記? 2017/01/31〜02/01
(Sunday, January 20, 2019 21:12) by TAKESHI HOSOMI
ブログ直りましたー!お待たせしました。以下、ネパール旅行記の最終回です。
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なんだかどの旅行記も最後の最後を書かずに終わってるのは、帰国のシーンを書きたいと思わないからなんじゃないかという気がしてくるほど、どの旅行記も最後の数日だけを書いていないのだが、実は一番書きたいと常々思っているのは最終日。結局はその手前で力尽きたか、「明日やろう」が何年にもなってしまっているだけの怠け者だ。ネパール旅行の最終回は、旅に出た日からほぼ丸2年経った今ごろ(ようやく)、記憶を辿りながら何とか書いています。
2017年1月31日、午前8時頃に目を覚ますと、相変わらず外の通りからは楽しそうな子供達の声や、1日の始まりを街全体で共有するような活気に満ちた喧騒が聞こえる。歯を磨きながら、まどろみの中でこの喧騒を初めて聞いた2日目の朝を思い出して、ずいぶんとここにも慣れたんだなと感じる。ここ2日の宿がかなり寒かったせいか、暖かいシャワーが出るだけで本当にありがたかった。さあいよいよこの部屋ともお別れだ。ありがとな、一人旅で過ごした部屋にはなぜだか友達のような思い入れを感じる。頭の中を駆け巡ったいろんな疑問をずいぶん一緒に考えてくれたし、何よりいつも安心させてくれて助かったよ。パッキングを終えて朝食を摂り、チェックアウトを済ませると、さあ最後にひと冒険、何が俺を待っているんだろうといういつもの気持ちでいっぱいになった。
(↑この宿での最後の朝食。オムレツおいしかったです。)
最後の宿となるモンキーモンキーまでは徒歩で10分ほど。まずはドミトリーにチェックインすると、急遽一人旅になってしまった台湾人のトムと昼飯を喰いに行き、帰りは一人で土産物屋を回った。事務所スタッフに木彫りの土産物を見繕い、聞くとカジノがあるというのでフラリと行って2時間ほどブラックジャックで遊んでみる。ベーシックストラテジー(ブラックジャックの基本的な賭け方)はぼんやりとしか思い出せなかったので、ノラリクラリと賭けてトントンで退散。特に事件も起こらず最終日らしいのんびりとした時間が流れていった。最初の夜に適当に入ったレストラン、あの停電の起こったレストランに寄って夕食を摂ると、やっぱりこの店のダルバートが一番旨いな、そういえばここに来るまでに何回道に迷ったっけな、なんてことを考えた。
(↑カジノの外観。なんていうかゴージャス。)
(↑宿への帰り道。ここを歩いていると、最後の夜ということもあってか、時間のトンネルを抜けているような、なんとも不思議な気持ちになりました。)
その日モンキーモンキーで出会った男性は、カドマンドゥでヒューマン・トラフィッキングの追跡調査をしていると言っていた。ヒューマン・トラフィッキングとは、人身売買、人の密輸、人身取引と訳され、貧困のため国境を越えて売春組織に売られたり、誘拐されて児童労働を強いられたりすること。ネパールでは現在に至るまで、深刻なヒューマン・トラフィッキングの被害があると言われている。彼はその調査の途中、カトマンドゥの路上で男たちに囲まれたり、襲われたりしたこともあると言っていた。その夜モンキーモンキーの大きな居間では、映画の上映会が催され、参加していたみんなが観ていたのは"Fight Club"。デヴィット・フィンチャー監督の作品の中でも、とりわけ好きな映画だ。ブラッド・ピット扮するタイラー・ダーデンが放つ、"Things you own, ends up owning you. (お前は自分の持ち物に支配されている。)"という台詞は、今でも最も好きな台詞の一つだ。俺とルーカス、エミリアは変わらずバルコニーで語り合っていたのだが、自由人エミリアがとても人懐こい笑顔で居間を指差し、「私はね、あの中の一人になりたくないの」と言っていたのが印象的だった。大抵の場合こういうセリフには「わざわざそんなこと言わなくてもよくね」的な感情が伴うのだが、ここでは誰もが自由に過ごしていたので、あ、そうなんだ?としか思わなかったことをよく覚えている。
ベッドルームには二段ベットが少なくとも10脚ほどが設置されていて、一部屋に20人前後が寝ていることになる。俺のベッドは上側だったので、先に寝ている若者たちを起こさないように腐心したのだが、どうしてもギシギシと音を立ててしまう。ごめんな、でもドミトリー久しぶりだな、そう思いながら眠りについた。
翌朝7時頃にそーっと、慎重にベッドを抜け出すと、居間に上がって朝食を摂った。それまで気がつかなかったのだが、居間から続く梯子を上った先に、屋根裏部屋のような小さなスペースがあり、そこからは小学校のような建物が見えた。校庭を元気に走り回る子供達の笑い声と、晴れ渡った空に吹く少し肌寒い風の音が、旅の終わりを静かに告げていた。ほんのいっとき感傷に浸ると、居間に降りて朝早く起きてきたルーカスに別れを告げる。
優しい男だったな。ずっと話し相手になってくれてありがとう。
「どうだい。結局今日帰るのか?もう一月ぐらい居たらどうだ」
と言うルーカスに、
「まあ、ここは俺の居場所じゃないからな。」
と応えた自分の言葉に少し驚いた。そうだよなぁ、俺には帰る場所がある。
意外にも予約の時間通りに現れたタクシーに乗り込み、空港へと向かう。何度か振り返った先には、昨夜カジノから歩いて戻った時の、現実感のない不思議な感覚は残っていなかった。窓の外を流れる景色はまるで初日の朝の時間を巻き戻すようで、ああ、あの店で喰ってみたいと思ったけど結局行けなかったな、そういえばここで道に迷ったっけな、なんて、一人旅の帰り道ではおなじみの感覚に襲われる。ネパールに降り立った朝と同じく、けたたましい喧騒と人でごった返した空港へたどり着くと、大して待たされることもなく出国手続きは終わり、搭乗便のゲート前でボケーっとしていた。乗客が機内へ案内され始めると、最後に一度、乾いたネパールの土を眺め、さよなら、いつかまた、と別れを告げた。
往路同様、タイのスワンナプーム国際空港でトランジットを待っていると、ずいぶんこの空港も慣れたもんだなと感じる。今までここで乗り換えたのは何回ぐらいになるんだろう?次はどこへ行こうかなあ、キューバ行ってみてえなあ。そういえば初日ここでめっちゃ仕事してたっけなあ。まあ、たかだか一週間の旅で何が変わるわけでもない。強くなったり、優しくなったりもしていない。きっと今回も日本に着いて最初に新鮮に感じるのは、空港から都内に戻る電車の中の静かさと、街中でクラクションの音が全くしないことなんだろうな。一人旅は孤独だ。今回の旅も、結局初日から最終日まで、誰とも話さない日なんて一日もなかったけれど、やっぱり一人旅が孤独であることに変わりはない。自由と孤独は抱き合わせなんだと、ピロウズ先輩が唄ってたっけな。
かくしてそれなりに長い空の旅を終えて、無事に東京に帰り着くと、久かたぶりに自分ちのトイレに入るわけだ。うんこ(すいません)手で洗わなくていいんだな。っつーかウォシュレットってすごい発明だな。でもこの感謝の感覚もすぐに消える。それも知ってる。だいたい5日ぐらいかな。せめてもっと長く続いてくれたらいいのにな、なんて思うけど、人間はそんなに便利にはできていない。でもそれでも、旅は人生を豊かにしてくれる。
それだけは間違いない。(おわり)
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