「もう2年近くもテントなのか。。」
トレッキングの出発点、スンダリジャルの街へと向かう車の中から、大きなテントがひしめき合う一画が見えていた。いくつかのテントに書かれた"US AID"の文字を眺めながら、想像などでは到底思い及ばないことは分かっていながらも、その生活はどういうものだろうと考えていた。2015年に発生したネパール地震により家屋を失った人々の「仮設住宅」であるテント群は、道中そこかしこに点在していた。
日本では、2011年の東日本大震災により現在も避難生活を余儀なくされている人たちが(昨年の時点で)約18万人おり、みなし仮設などを含む仮設住宅の入居戸数は6万戸を数える。災害公営住宅の建設は4割、宅地の引き渡しに関しては2割ほどが完了している。いつ訪れても暖かく迎えてくれるあの場所が、もう必要ではなくなったからと、最後の1戸が閉まる日はいつだろう。それはきっと1日でも早い方がいい。
(↑塀の向こう側にテントがたくさんある。右の白いのを拡大するとUS AIDの文字が。)
午前6時50分。耳に心地いいカトゥマンドゥの喧騒に目をさますと、どうやら今日はとても天気が良さそうだ。寝ぼけた頭で熱めのシャワーを浴びながら、昨晩訪れたバーのなんとも気持ちのいい光景を思い出していた。4畳ぐらいの小さなステージではハコバンが最新のワールドチャートを演奏し、決して広いとは言えないフロアでは、人々が銘銘楽しそうに踊っている。窓際の席に腰を降ろしてウィスキーを注文すると、背中越しにその光景を眺めていた。お気に入りの曲が始まった途端に上がる歓声と、彼らの笑顔を見ていると、自分が知らずにどこかに置いてきてしまった、とても大切だった何かを思い出したような、そんな気持ちになった。どこか人懐こそうな雰囲気で踊る女性が、窓際に陣取って蚊帳の外のような顔をした連中の手を次々と引き、半ば強引に立ち上がらせ始めると、ステージの前はウェイターが通るのも難しいほどの混雑になった。やべえ、このままだと俺も踊ることになるな、まあそれもいいか。俺の滑稽な踊りを見られたところで、彼等の酒のアテが増えるだけだ。そう覚悟を決め、いざ俺の真後ろの男が連れて行かれた直後に演奏は終わり、バンドが終わりの挨拶を始めたので、ほっと胸をなでおろしつつ残りのウィスキーを流し込んだ。
ドライヤーがないのも慣れたらなんてことないな、なんて思いつつ荷物をまとめ、ホテルのストアレージに残していくもの(もちろんPCは置いていく)と持っていくものを分ける。昨日急遽調達した追加のアウターや1リットルの水筒をバックバックに押し込み、トレッキングシューズを履くと、ああ本当に山に行くんだなという実感が湧いた。日本から履いてきたランシューがどうやら長時間歩き続けるには小さすぎることに気付けたのも、昨日一日カトゥマンドゥを歩き回った大きな収穫だ。多めの朝食をとり、これから2日間二人っきりで過ごすことになるであろうトレッキングガイドをロビーで待っていると、ほどなく聡明そうな瞳をした、英語の堪能なシンバ(仮名)があらわれた。この人となら長い道中の会話も楽しそうだ。
車窓を流れるストゥーパやテント群にひときわ目を引かれているうちに、1時間ほどで標高1460mの街、スンダリジャルに到着した。カトゥマンドゥの中心地を離れるとやはり空はとても広く、青い。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、さあ、人生初トレッキングの始まりだ。
(↑国定公園の入り口にあった看板)
初日は6時間ほどの行程。目的地のチサパニは標高2400mなので今日はその大部分が登りだ。神社の参道によくあるような石段を、数時間かけて延々と登っていくようなイメージ。ただもちろんそれだけじゃなくて、景色は刻々と変わり、林道のようなところもあれば一転して乾いた平地に出たり、とても小さな集落をいくつも通過したりする。以前から集落があった場所も含めて、自然保護などの観点から国定公園化されたため、彼等の住居は今では国定公園の中にあるのだ。シンバの話は予想通りとても含蓄があって面白く、それまで知らなかったたくさんのことを教えてくれた。例えば食べられる木の実のことや、消えゆくカースト文化が世代間で軋轢を生む構図など、知的好奇心が旺盛な人にはたまらないだろうな。木の実めっちゃうまい!
ある集落では学校のそばを通ったんだけど、その壁には"Education is the most powerful weapon which you can use to change the world(教育とは世界を変えるための最も有効な武器である)"の一文が書かれていた。その先には"Marriage can wait. Education cannot.(結婚は後回しにできるはずだ、教育はそうではない)"とある。年端のいかない少女が嫁がされていく現実があるのだろう。世界中で起きている問題だ。旅をしていると、人生をかけてそんな現実と闘う、素晴らしい人たちと出会うことがある。情熱と知性をもって、実際に世界を変えていく人たちだ。まるで生まれた時から何が正しいことかを理解しているような彼らを見ていると、この世界が素晴らしい場所であると、理解できそうな気がするときがある。そんなことをぼんやりと考えていたら、「結婚は後回しでもいいが、旅はそうはいかない、だよな?」と言ってシンバが白い歯を見せた。
(↑延々と続く石段)
(↑校舎の壁)
昼食を済ませ、さあ山登りを続けようと思っていたところ、
「違うよタケシ。山じゃない、ここは丘だ。ネパールでは標高が4000mを超えないと山とは呼ばないのさ。」
とシンバが言った。
「そうなんだ?はっはっは。じゃあこれはトレッキング、ってのは合ってる?」
「うん、これはトレッキングだよ。24時間以上の行程で、初日の出発地と宿泊地が違えばトレッキングさ。それ以外はハイキングって言うんだ。」
「そりゃ良かった笑。日本に帰ったらハイキングも行ってみたいよ」
ときおり山の木の実をほおばりながら、二人でトレッキングを続けていると、ふと突然視界が開け、目の前にヒマラヤ山脈のパノラマが広がった。この瞬間が、今回の旅のハイライトのひとつだったことは間違いない。そうか、俺はこれを見に歩いて来たんだな。この先の人生で、あと何回こういう瞬間に出会えるのかな。想像もしなかったような美しい景色はまだこの世界に腐るほどあって、どうしたってその全てを目にするの不可能だ。それでも初めてアンコールワットをこの目で見た時から、もっと旅に出ようという思いは強くなるばかりだ。木漏れ日のシャワーを浴びていると、どんなにCGが美しくなって、写真の解像度が上がったところで、自然と対峙する体験には到底及ばないっていう、ただそれだけの当たり前のことを、いやってほど思い知らされる。
ちょうどヒマラヤ山脈に背を向ける格好になった時、自分が歩いてきた丘の稜線がそれは美しいことに気付いた。思わず声が出た。俺は稜線になぜか昔から強く惹かれている。それはもうオブセッションと呼ぶ以外にない。でもなぜだか、稜線を眺めていると、人生の終わりを見つめているような、とても寂しくて、それでいて暖かいような気持ちになるのだ。決してツーリズムの名所なんかじゃないけど、俺にはその日一番の美しい景色だった。
(↑集落のヤギたち。食肉用。)
(↑後半でわりと平坦になった道中)
(↑。。。)
(↑丘の稜線)
だんだんと日が傾き、冷たくなった風にバックパックから取り出したアウターのジッパーを一番上まで上げた頃、チサパニの集落にたどり着いた。ここでも地震の爪痕は凄まじく、最初に目に飛び込んできたのは、レンガ積みの壁がすべて崩れ、柱と基礎だけが残ったロッジや、一階部分が崩れて大きく傾いたままの、かつてのホテルだった。シンバ曰く、国定公園の中ではとても細かい規制があり、今自分が歩いているこの道の左側には、新規の建設のみならず、既存の建造物に対する増改築も全く認められないそうだ。そのためここで山宿を営んでいた人たちの多くは、今はこの土地を追われ、半壊したままの建物もいずれすべて取り壊されることになるという。
少し靴擦れのした足でバックパックを部屋に放り込むと、食堂で待つシンバのところへ向かった。暖房のないこの宿でビールを頼んだのは間違いだったかなと思いながら、会話をするでもなくぼんやりと外を眺めると、一頭の牛が小道を登っていくのが見える。その背には夕日が輝き、一日の終わりをゆっくりと告げていた。(つづく)