(Wednesday, May 4, 2011 03:53) by TAKESHI HOSOMI
ただいまー。いま作曲プリプロから帰ってきました。:-)
今日は考える事について考えてました。
考えるのは俺にとってとてもとてもとても大切なこと。この一文だけ誤解を恐れず書くけれど、そして実はとてもとてもとても楽しい事。(寝れない、ってのはそういうことだと解釈してます。)
後悔と、考えることは見た目似てるけど実は別物。自己嫌悪も、前進する思考とは別物。思考のループに陥って同じところを回ってしまうときは、後悔や自己嫌悪でとどまっている可能性があるよね。それを思考の上に乗せて、ループから考え抜けることができれば、次に自分が取る行動を必ず良い方向に導いてくれる。人は失敗からしか学ぶ事ができない、という言葉はつまり、失敗から人は学ぶことができるということだもんね。
ところが気がつかないうちに思考停止へと誘導するものが俺たちの生活にはけっこうある。例えば日本の民放テレビ。ちゃんと考えながら見たら嫌な思いをすることが多い。いや、ここは俺個人の話だからはっきり書いてもいいか。つまりちゃんと考えながら見たらすげえ腹が立つことが多い。(きっとそうじゃない番組もあるんだろうけど、たまたまつけてそーゆーのに当たることがまずないから、数は少ないのだと思う。なぜたまたまつけるのかというと、民放テレビの風潮が変わってすごくまっとうに - つまり俺にとっては面白く - なっていても同じスタンスでいたら悪いと思ってときおり確認するのだ。現状1分とせずに変える、もしくは消すことになるけれど。)DiscoveryやNational Geographicのようなテレビは、逆に考える事を後押ししてくれるからすごく好き。他には「ダメなものはダメなんだ!」みたいなルールなんかも俺にとっては思考停止強制ツール。だって、「なんで?」と思うのは当たりまえのことじゃん。そして大抵の物事には理由があって、その理由が実は黒いものだったら、俺はそのルールを守らない。
一人でじっくり考える時間はこれまたとても楽しいんだけれど(決して楽しそうな顔はしてないと思うけどまあ、上の方参照で。)、けっこうすごいシンプルなことを見落としていたり、一歩引けば見えるロジックの穴に気付かないことも多い。だから人と一緒に何かを考えると「あ、そっか!」てことがいっぱいあって、すげえ考えが前進したりする。
だからね、一人で考え込んでもう分からなくなったときは、自分は一人ではないということを、見落としているのかも知れない。一緒に考えられる人は、やっぱり少ないかも知れないけれど、きっといると思うんだ。
珈琲が好きな人もいれば嫌いな人もいるように、そして珈琲に正しいもクソもないように、今日のブログはただのおせっかい。考えずに直感で正解を選べる人もたくさんいるからね。
めっちゃ長くてごめん。少しでもみんなが眠れますように。
また明日。:-)
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